もとみやだいすけの備忘録

日々の格闘を記録。

2023年度講義振り返り

目下、2023年度後期の採点中。

 

私が担当している講義では、おおよそ1クラス80名程度の学生がおり、それを2クラス担当した。

 

いろいろコミュニケーションワークもするのだが、

メインイベントが12グループに別れ、手分けをしてクラス全員で1冊の本を要約する。

 

ポイントなのは、

「教員が約80名分の手分けを考えるのではなく、12グループの分担までしか指示しない。」

 

実際はグループ内で分担がなされ、各人数ページほどの要約を作成するのだが、
私から

「発表はグループの連帯責任です。だれかが当日病気でやすんでも、サボってスライドを作らなくても、それはそのグループ全体の問題と捉えるので、なんとか乗り切るような作戦と、グループ内のコミュニケーションを形成しておくように」

と、当然といえば当然なんだが、見方によって鬼のような提示がなされます。

 

これがあるものだから、各グループで、「あ~でもない。こ~でもない。」が展開されているらしい。

 

ちなみに、ここ数年、グループ活動の近くまで行って横聞きすることをやめているので、具体的やりとりは把握していない。それより大局観を見て、「完成しているグループか、そうでないか。」「私の問いかけに素直に答えることができているのか、そうではないのか。」を把握し、全体に向けた情報提供のやり方を変えていく方が遥かにクラスマネジメントでは重要で、公平な教育サービスの提供を考えて接している。

 

で、話を戻して。

今採点している全体振り返りのレポートの中に、グループ活動で印象に残っているエピソードを書いてもらっているのだが、そこにやりとりが赤裸々に書かれているわけだ。

実に面白い。全体を見渡して、黙々と要約を作っていると思いきや、実はコソコソ調整していたのかと思い知らされる。実際、グループワーク中、明らかに雑談をしている学生もかなり多いのだが、そうでもないらしい。

 

実は、プログラム実施者である私が「良い発表を作らせる」ことよりも、「いくつかHalationを起こさせて、それをどう乗り越えて発表を迎えるか」「発表して大スベリして、恥ずかしい思いをしたのはなぜか」「サボってやらなかったことによって、仲間内の信頼度が下がった」とかいう起こるであろういくつかのエピソードを巻き起こして、その中で教訓を得るように設計している。

 

だから、振り返りレポートを読みながらシメシメと思うわけである。